新生代第三紀の前半の日本列島の大部分は陸地であったが、中頃からは大変動が起こり造山運動に伴う断層運動によって大地はずたずたに切られながら海底に沈んでいった。また、その割れ目に沿って活発な火山活動が起こってきた。
第三紀中新世の中頃には海は最も広くなり、栃木県では八溝、下野、足尾の三つの山地だけが陸島として残るだけであった。当然高根沢も海底にあり、活発な海底火山の活動による緑色凝灰岩を厚く堆積していた。この地層を町内では直接観察することはできないか、元気あっぷむらでのボーリングの資料によると地下一,〇〇〇メートルの深さの所からさらにその下に、数一〇〇メートル以上の厚さで堆積しているのが確認されている。さらにこの緑色凝灰岩の上位には、厚さ九〇〇メートルの泥岩層が堆積している。これらの海底堆積物が高根沢町の土台となっていて、この泥岩層の一部が国道四号線の鬼怒川橋下の川底に小規模に分布していて観察することができる。この緑色凝灰岩を直接見ることができるのは、塩谷町や塩原町、特に全国的に有名なのは宇都宮市の大谷で、大谷石の名で知られている。この緑色凝灰岩はグリーンタフと呼ばれ、北海道の西南部、本州の日本海側、フォッサマグナ地域等に広く分布している。
塩谷町大久保地内のがけでは、緑色凝灰岩の上位の泥岩や砂岩の中からクラミス・ドシ二アなどの貝化石やサメの歯の化石が発見されたり、南那須町大金付近でも同様な観察ができることから、これらの地層は海底に堆積したものであることがわかる。
なお、この地域に見られるこれらの地層は総称して「塩谷層群」と呼ばれている。