ビューア該当ページ

(三)宝木台地

29 ~ 30 / 899ページ
 その後、河川の浸食によって宝積寺台地の一部が浸食され、そこに宝木段丘礫層を堆積して宝木台地面を形成した。この台地は高根沢町内では見ることができないが、河内町岡本から上三川に至る地域、及び宇都宮市の大谷から市街地一帯、さらに石橋・小山・間々田を経て茨城県や埼玉県にまで続く広大な台地となっている。
 宝木台地面が形成された頃、群馬県の赤城火山が大爆発をくり返し、噴出した火山灰や軽石は強い西風によって赤城火山の東側に運ばれて堆積した。高根沢町にも四メートルほどの厚さに堆積した。園芸用に利用されている鹿沼土(鹿沼軽石層)もこの時に堆積したものである(宝木ローム層の堆積)。
 高根沢町での宝木ローム層は、すでに陸地になっている喜連川丘陵と宝積寺台地上にのみ堆積した。この頃の鬼怒川は、氏家町の勝山を起点とする宝積寺台地を中州のようにして流れは二つに分かれていた。その一つは氏家町から大谷・石末を経て町の中央低地部を南に流れ、もう一つは現在の流路を含む上阿久津や中阿久津そして下宝積寺、さらには対岸の上河内町や河内町の東部一帯の地域を流れていた。この川の部分には、宝木ローム層は流水に流されて堆積することができなかった。