この古い鬼怒川はさらに礫層(田原段丘礫層)を堆積して低位の台地面を形成した。
高根沢町内には二つの台地面が形成されたが、その一つは氏家町の押上~長久保~蒲須坂~大野~狭間田から、高根沢町の伏久~平田東部~太田~寺渡戸~栗ケ島に続く喜連川丘陵に沿った地域に見られる台地(氏家―仁井田台地)であり、もう一つは宝積寺台地の東側に沿った大谷の天沼~笹原西部~西原~前原~上高根沢の地域に見られる台地(石末台地)である。
これと同時に河内町の田原から上三川町に至る地域も陸地化し、田原台地を形成した。
この低位台地面が形成された頃、日光火山群の中で最も新しい男体山が噴火し、今市軽石層(今市土とも呼ばれている)などを含む厚さ二メートルほどの火山灰を堆積した。詳しい研究によれば、その時期はおよそ今から一万年前と推定され、それはまた最後の氷河期が終わった頃とも考えられている。
高根沢町で見られる大規模な火山灰の堆積は男体山によるものが最後で、その後周囲の火山群の活動はしだいに静かになってきた。