関東ローム層の堆積した年代については、各地の遺跡の調査報告や放射性同位体による調査報告などがあり、現在得られる資料に基づいてその年代を推定すると
①田原ローム層と表土との境界は約一万年前
②田原ローム層と宝木ローム層との境界は約二万二,〇〇〇年前
③鹿沼軽石層は約三万二,〇〇〇年前
④宝木ローム層の最下部は約六万年前
となる。さらに下位にある宝積寺ローム層や根本ローム層については、その年代を決定できる直接的な資料は現在のところ得られておらず不明である。
関東ローム層が堆積した当時の環境を裏づける資料は少ないが、小山市三拝川岸に見られる鹿沼軽石層の下位に泥炭層があり、その中に含まれる花粉の分析から次のことが推測されている。
花粉分析の結果によると、広葉樹のハンノキ属・コナラ属とともに針葉樹のモミ属・コメツガ属・トウヒ属・カラマツ属の花粉が多量に含まれていることがわかっている。特にマツ属に五葉松型花粉が入っていること、また、カバノキ属が含まれていることなどから、現在より気温の低い冷涼な環境にあったと考えられている。
このように高根沢町の大地の歴史は古く、およそ三,〇〇〇万年前の昔にさかのぼることができる。激しい海底火山の爆発が続く海の底、ある時にはクジラやサメの泳ぐ静かで暖かい海の底、またある時は山地に、そして湖底にと自然環境を変え、さらには構造線(断層線)の活動による大規模な断層によって陥没したり、周辺にある火山群の大爆発に伴う火山灰や軽石が大量に降下したり、またさらに、氷河期の影響を受けて寒冷な気候になるなど、厳しい大自然の試練を経ながら、私達の郷土高根沢町の大地が形づくられてきたのである。