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活断層

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 一九九五年一月の兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災以来、活断層の言葉が広く知られるようになり、人々に関心を持たれるようになってきた。
 「活断層」という言葉は、一九二〇年代の初期に、アメリカの地質学者ベリー・ウィリスが、断層のなかで特に将来ずれ動きそうな、災害の種になりそうな断層に対して使われたのが最初である。
 日本でも同様な考え方で定義づけられている。例えば活断層研究会は、「活断層とは最近の地質時代にくり返し活動していて、将来また活動すると考えられる断層」としている。なお、ここでいう「最近の地質時代」というのは地質時代の最も新しい区切りである「第四紀」をさしている。その理由は、①日本内陸の活断層はほぼ第四紀の始めごろにできていること。②現在見られる地形の大部分が第四紀にできたものであり、その間に地震などによって生じた地形の変動が十分に記録されているからである。
 くわしい研究によれば、日本の内陸にある活断層が大地震を起こす時間間隔は、短くても一,〇〇〇年前後、断層によっては数万年かそれ以上であることがわかっている。
 日本列島の活断層は中部地方と近畿地方に特に多く分布している。関東地方では埼玉県、東京都、神奈川県などの関東平野の南西部に集中してみられ、茨城県、千葉県北部、群馬県、栃木県は非常に少ない。
 北関東でのナンバーワンの活断層は、栃木県の北部、矢板から関谷そして那須野が原の西縁を北へのびる関谷断層で、最も活動的な断層としてA級にランクされている。
 一六八三年の日光東照宮や鬼怒川温泉などに大きな被害をもたらしたM(マグニチュード)七・〇の大地震は、この関谷断層の活動によるものと推定されている。
 さらにこの断層を延長し、矢板市の塩田から南にのびているのが塩谷断層で、確認されている南端は高根沢町の石神の鬼怒川鉄橋下で、高根沢町の西縁を大きな活断層が通っていることになる。
 

22図 関東の大地震と内陸の活断層の分布(松田時彦 1995)