ビューア該当ページ

寒冷な気候

107 ~ 109 / 899ページ

上の台古墳・切石積石室の全景

 人類二〇〇万年の歩みのうち、大部分は旧石器時代にあたる。その間、地球的な規模で四回の氷河期が訪れ、最後のものが七万年前から一万七,〇〇〇年前まで続いたヴュルム氷河期であった。しかし、一様に寒冷気侯が続いたわけではなく、寒暖が間隔的に繰り返されて、最寒期は二万年前ころとされ、氷河の分だけ海面が下がり今より百数一〇メートルも低かったという。アジア大陸の東縁には巨大な内陸湖を抱いた千島弧、本州弧、琉球弧が並び、陸橋を伝って大陸の動物群や人間が渡ってきた。本州弧の北部には、シベリアからマンモス動物群(マンモス、野牛、ヘラジカなど)、中・南部には中国から黄土動物群(ナウマン象、オオツノジカなど)の二系統の大型獣が生息し、これを追う古モンゴロイドにより日本の旧石器文化は盛時に向っていった。一万八,〇〇〇~一万七,〇〇〇年前から地球は温暖化へと向い、海面が上昇して日本列島と日本海が形成され、一万二,〇〇〇年前には宗谷海峡ができて北海道島が成立したという。温暖化は植生や動物相を変えた。関東地方では、エゾマツ、カラマツなどの亜寒帯針葉樹林にナラ、クヌギ、ブナ、ハシバミなど冷温帯落葉広葉樹が加わった混合林が形成されるようになり、絶滅した氷河期の大型獣に変って日本の在来種であるニホンジカ、エゾジカ、イノシシ、タヌキ、ニホンザルなど多様な中・小型獣が生息するようになった。最寒期には、現在より年平均気温が八~七度低かったのが、二~三度上昇し、動植物相の多様化を招いた。草原は縮小し、降水量が増して森林が拡大していった。まだ氷河時代の名残りを留めるので後氷期と呼ばれるこの時代は、生活基盤の豊かさに支えられ旧石器文化が高度に発展し、地域性を輝やかせたのであった。
 この頃の様子を眼でみることはできないが、ドイツのライン地方にあるゲナスドルフ遺跡の発掘調査に基いて描かれた情景(G・ボジンスキー 一九九一)をみよう。クロマニオン人が活動した後期旧石器時代のヨーロッパでは大半がステップ(草原)で、狩猟の獲物により「トナカイの時代」とも呼ばれる。ゲナスドルフ遺跡はその終末の紀元前一万四,〇〇〇~一万一,〇〇〇年ころにあたる。
 ライン川の中、高位段丘は草原となって広がり、ハンニチバナ、ヤグルマギクなど多種類の花が咲き、ネズの灌木か点在していた。草原にはウマの群が常住し、冬にはトナカイの群やマンモス、毛サイなどがやってきた。ライン川にはマスとタラが生息し、川辺の湿地にはヨシが茂り、ガチョウやハクチョウが住み、夏にはヘラジカ、冬にはカモメとアザラシがきていた―。
 これらの多種多様な動物相は、遺跡から出土した食料残滓やスレート板の刻線画などから復元されたものだが、乾燥していて比較的暖かい夏と、寒い冬、という当時の気候をもとに多種類で豊富な動物相は人々に豊かな恵みを保障した。「当時の人びとを、生きるか死ぬかギリギリのみじめな環境下に想定するならば、それは誤りというものである」、と結ばれており、旧石器時代の概念を改める必要がありそうだ。

1図 氷河時代・ステップの景観(「ゲナスドルフ」六興出版より)