3図 関東ローム層標準柱状図(宇都宮市満美穴)「栃木県史・資料編一・21頁」
日本の旧石器時代遺跡は三,〇〇〇ヵ所以上とされる。後の縄文時代以降の遺跡数に比べて、それは如何にも少数であり人口の稀薄さを示している。前述の温暖化へ向った時期は別にして、時代の大部分がきびしい自然環境の下にあったことが生活技術の低さと相俟って人口増加を妨げたのであった。
当時の自然環境は寒冷気候と活発な火山活動に伴う火山灰の降下によりいっそうきびしいものになった。北関東では、浅間山、榛名山、男体山など、南関東では富士山、箱根山などが爆発を繰り返し、火山灰が厚く堆積した。関東ローム層である。相次ぐ降灰は太陽光を遮り、植生を不可能にした、とみられていたが、実際は植物繁茂を示す黒色帯がローム層中に何枚か存在しており、ローム層中から発見される旧石器時代の石器が何よりも明確に生活生業が可能であったことを裏づけている。
本県のローム層は、阿久津純らの研究により、鬼怒川の河岸段丘を基準にして古い順に戸察、宝積寺、宝木、田原ロームと呼称されており、高根沢町石神付近や宇都宮市・飛山城あたりの露頭には見事なローム層序の様子が観察される。この層序のうち、旧石器が出土するのはほとんど田原ロームである。田原ロームとそれより古い宝木ロームの境目になっているのは黒色帯で、阿久津によると(阿久津純 一九七六)、「七本桜、今市軽石層の境界が一万二四三〇±二七〇年BP・田原ローム層の基底が二万四,〇〇〇±六五〇BP、宝木ローム層下部が四万五〇〇±五〇〇年BP」とされる。旧石器の主たる包含層である田原ロームには、古い順に男体山の噴出した小川スコリア層、片岡スコリア層などの間層があり、最上部には男体山の終末噴出による今市軽石層、七本桜軽石層がみられ、これらの層を鍵層にして田原ローム層中における遺物の相対的な出土位置を決めている。
また、田原ロームは上部のソフトローム、中・下部のハードロームに二分する捉え方も行われており、両者とも後期旧石器時代に相当する石器を含むのだが、上部には細石器、中・下部にはそれに先行する各段階のナイフ形石器が産出することが判明している。