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石器の変遷

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4図 3タイプのナイフ形石器分布図

 旧石器時代の道具には、石器、骨角器、木器、皮製器などの各種が用いられたのだが、石器を除いてほとんどが遺存しないのであたかも石器が主体であったかの印象を与え〈石器時代〉の呼称になっている。実態とは異る偏った命名なのだ。ともあれ、遺存している石器類を対象に研究が進められている。
 石器は、ナイフ形石器、尖頭器(石槍の仲間)など刺突が主要な役割の狩猟器、動物の解体や革なめしなどに使う削器や搔器などの調理具、骨角類に溝をきざむ彫器(彫刻刀形石器)や皮に穴をあける錐、樹木の伐採・加工に用いる局部磨製石斧などの工具、その他に大別される。このような道具の多様化は、後期旧石器時代に入って急速に進行した。環境に適応する技術が向上し、狩猟採集の道具や衣食住に係わる各種の道具が必要になったからである。石器の〝量産〟のために、一つの原材から何枚もの剝片を連続的にとる石刃技術が登場した。石刃はナイフ形石器をはじめ搔器、彫器、石錐などに加工されていった。
 石器の主役は何といっても狩猟具、後期旧石器時代の約二万年間にナイフ形石器、槍先形尖頭器、細石器の順に変遷する。三万年前にナイフ形石器が出現、全国的に普及、その後、一万五,〇〇〇年前に中部・関東を中心に槍先形尖頭器が広がる。これに代り一万四,〇〇〇~一万二,〇〇〇年前に細石器が用いられる。大半の時代をナイフ形石器が占めるわけだ。
ナイフ形石器は、長期的に北海道を除く全国で盛行した。出現から普及、衰退に至るまで長命の石器であるため、時期差、地域差が強く現われるので編年上の指標にもなっている。大別して、東北地方を中心とする杉久保型ナイフ、関東地方を中心とする茂呂形ナイフ、西南日本に広がった国府型ナイフがある。
 杉久保型ナイフはスラリとした縦長剝片の鋭い両側縁を生かし、両端を尖らせた石器、茂呂型ナイフは、縦長剝片を中途で斜めに折り、鋭い一側縁を生かし三辺を刃潰して整形した石器、国府型ナイフは、素材のサヌカイトの特性で〝横剝ぎ〟による翼状剝片を整形した石器。この三つのタイプのナイフ型石器は、地域の石器群の指標として存続し変遷をとげているが、出現したのは杉久保、茂呂がAT層の下、国府が上とされ、前二者の方が古い。AT層とは姶良丹沢火山灰層のことで二万二,〇〇〇~二万一,〇〇〇年前に鹿児島湾で大爆発が起り日本全体に降下した。ローム層の形成は地域によりさまざまなので全国規模のAT層は共通の尺度=鍵層として出土する遺物の先後判定に役立っている。本県では、田原ロームの下部に存在するが極く薄い層であるため視認することは難しい。