5図 旧石器時代の石槍・上林遺跡(佐野市教育委員会提供)
佐野市・上林遺跡は、一九九五年から現在も発掘中の旧石器・縄文時代の複合遺跡で貴重な遺構、遺物の検出により注目されている。殊に、後期旧石器の三枚の文化層がローム層序の中で明確に把握(矢島俊雄・出居博 一九九七)できたことは特筆される成果であった。第一文化層は槍先形尖頭器を主体とし、浅間―板鼻黄色軽石を含むソフトローム層(田原ローム上部)中に検出、第二、第三文化層は、それぞれナイフ形石器を主体としており、ハードローム層中にあるが、AT層を挟んで第二が新、第三が旧と時期区分が明確にされ、ナイフ形石器の形態差、組成石器群や石材の差違などが判明しつつある。
第一文化層の槍先形尖頭器は、彫器、削器、搔器を伴う石器組成をもっており、信越地方との関連が深い、という。尖頭器は木の葉のようなこの時期独特の形状を呈するが、長さ一〇センチを超える優品が二点もあり、それらの多くは黒曜石製であった。
槍先形尖頭器は柄に取りつける投げ槍。旧石器時代の終期近く関東・中部地方に短期間出現する石器である。動物相がほぼ現在と同じ中・小型獣になり、これに対応する狩猟技術の中で普及したもの。微細な剝離整形で仕上げた槍先形尖頭器は、暫しのきらめきを経て細石器と交替する。従前、尖頭器と細石器との時間的な重複が想定されたこともあったが、上林遺跡の層位的な確認はその点でも今後の研究に役割を果したといえる。
旧石器時代終末は細石器文化が飾る。精巧な剝離技術で長さ二センチ前後の細石刃を連続的に剝がし取るテクニックはまさに技の極致。本県では、鹿沼市・坂田遺跡、益子町・星の宮A遺跡などが知られ、後者では焼け礫群(炉の一種)の存在も確認されている。
細石刃は単体で使用するのではなく、骨や木の棒の先端部に幾筋かの溝を掘り、それに植えこんで使う“組合せ石器”である。復数の刃先きをもつ槍は獲物に大きな手傷を負わせ、細石刃が破損しても交換補充がきくわけである。温暖化に伴う後氷期の環境変化は更に進み、細石器文化は短命に終って土器をもつ縄文草創期へと時代は転換する。ローム層に含まれる石器文化とその上にのる黒色土に含まれる土器文化、それは新旧交替のみならず文化自体の質的な転換を意味していたのである。