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コラム ローム層と石器

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2図 露頭でみつけた石核

 岩宿の切通しのローム露頭で相沢忠洋青年が発見した石器がわが国の旧石器文化研究の端緒となった。
 今日も―研究者たちは道傍や土工事の現場のローム断面に石器が覗いていないかと眼を光らせる。旧石器を渉猟して県内を廻る川田均さんもその一人だ。川田さんが喜連川町下河戸地内で発見したローム層断面の石器、2図はその実測図。断面をよじ登り、手製の探査棒を層中に刺し込む。運よく石器が見つかれば、ヒネリ鎌で断面をきれいに削り、層序を図にとる。件の石器は安山岩の礫を半割した石核で、その近くから焼礫六点がみつかった。また、その周りには炭化物の細粒がみられ、高原山産の黒曜石細片も確認された。日常生活の痕跡を示す遺物である。こうして旧石器の文化層と認定、名づけて引田A遺跡。現地は喜連川丘陵の一角で、木の枝のように開折谷に刻まれ入り組んだ地形を呈している。遺跡は引田川左岸に沿う細長い支丘の鞍部“やせ尾根”上に位置し、低地面からの比2高約二〇メートルである。
 石器が出土したのは小川スコリア層のすぐ下のローム層。田原ロームとして括る上部ロームの最下部にあたる。栃木県のローム層は古い方から戸祭、宝積寺、宝木、田原ロームに大別され、多くの旧石器は田原ロームから出土する。田原ロームの厚さは引田A遺跡では約二メートル強。層中に男体山の火山噴出による各種の堆積物薄層がある。上から、七本桜軽石層、今市軽石層、片岡スコリア、小川スコリアの各層。引田A遺跡の文化層は宝木ローム最上部の黒色帯直上の層位であり、田原ロームに含まれる石器群の中でも最も古く位置づけされることになる。旧石器遺跡は数少い上に、包含層が深いため見つかりにくい。僥倖に近い発見を期してローム断面の検分は続く。