6図 宮城県座散乱木遺跡の石器(「旧石器時代の東北」より)
7図 斜軸尖頭器・七曲遺跡(戸田正勝 原図)
三万年前を区切りに、日本の旧石器時代を古と新に分け、新を後期旧石器時代と呼びほとんどの遺跡はこの時代に納まる。古は前期・中期旧石器時代にあたるが、宮城県で座散乱木遺跡や馬場壇A遺跡で三~五万年前にさかのぼる旧石器が発見されて以降、「前期旧石器」を追求し研究する動きが活発化していた。この時代の石器は、形や大きさも不ぞろいで、後のナイフ形石器の石器群のような定形石器がみられない。不規則に割り取った剝片を利用するためだ。その中の代表的なものは尖頭器で斜軸尖頭器と総称、石槍ではなく刺突や切截具である。東日本の古い旧石器はこの斜軸尖頭器の仲間であるようだ。その広がりが北関東にも及んでいることが戸田正勝らの那須町・七曲遺跡の調査(戸田正勝 一九九三)によって判明した。四万五,〇〇〇年前の火山灰層の直下から流紋岩製の八点の石器を発見したのである。その後、北関東の一群の遺跡が「斜軸尖頭器石器群」の系譜の中で捉えられ、それらは四万~三万年代、下部の宝積寺ロームから中部の宝木ローム層に位置づけできる、という。古期の火山灰か厚く堆積している喜連川丘陵から高根沢町の「前期旧石器」を発見する可能性も現実味を帯びてきたのである。