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ナイフ形石器

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 母材の礫からスラリとした縦長で薄手の剝片を連続的に割り取る石刃技法は、後期旧石器時代に確立した高度なテクニックである。剝片は量産され、それを素材として用途に応じた各種の石器がつくられた。優美なこの縦長剝片こそ定形石器の原点であった。
 中柏崎・上山遺跡で発見された8図の二点の石器(川田均 一九九二)は、その見事な石刃技法がみられる。
 2は茂呂形ナイフで、材質は白色の流紋岩。腹面は剝離面をそのまま残し、背面の右上半にナイフの刃のような鋭い側縁がみられる。縦長の石刃を斜めに折り取って、尖った先端部と石刃の側縁を切出小刀の刃先き状に形づくり、他の側縁は整形剝離を加えて全体を長さ六センチほどの木葉状に仕上げている。3は、薄い縦長剝片の基部(打ち剝しの打点がある側)で材質は白色の流紋岩。背面の稜をみても石刃技法の巧みさが分る。素材の段階で破損したらしく石器としては使われなかったもの。ナイフ形石器は、手持ちの槍として使用された、とされるがその存続期間は長く各段階がある。上山遺跡のものは、関東地方を中心に分布する盛行期のナイフ形石器で、「茂呂形ナイフ」の仲間。北関東の後期旧石器の中では最も一般的な刺突具である。
 遺跡は、喜連川丘陵の一角で、大川の開折低地に臨む小さな舌状地形。比高二五メートルほどの高みに位置し、眺望のよい局所的な独立地形の突端にあたる。旧石器遺跡の典型的な立地である。遺物は工事で整地されたローム面での表採品で出土層位などの状況は不詳、遺跡も滅失したものと思われる。
 町域で、もう一ヵ所、旧石器時代の遺物と確認されているのか宝積寺・若林遺跡の剝片三点(史料編Ⅰ・五六頁)。田原ロームの最下部にある黒色帯から採集され、それぞれ硬砂岩、チャート、黒曜石の剝片。ナイフ形石器の古い段階に位置づけられる出土層位である。現地は、宝積寺台地の一角で、南にひらけた浅い谷の奥頭に位置する。一帯は、ロームを切土整地しているが、遺跡範囲が隣接地に遺存しているようだ。
 旧石器時代の遺物は、地中深くローム層中に埋積されているため、また遺跡自体がきわめて少数であるため発見される機会が少ない。表採などで周知の場合はともかく、偶発的に切土面で発見しても多くは既に滅失状態にあり、目につきやすい縄文時代以降の遺物と違って、旧石器遺跡の発見はかなり難しい。

8図 町域付近の旧石器
1.石槍(南那須町・後久保遺跡)、2・3.ナイフ形石器(高根沢町・上山遺跡)