旧石器終末段階とみられる1の尖頭器が町域隣接の喜連川丘陵で出土している。南那須町・後久保遺跡で、現地は開折谷の奥頭で細長い支丘の鞍部、比高約四〇メートルの頂部付近。
工事中の遺物確認だがローム層中よりの出土という。やや細身の木葉状を呈する槍先形尖頭器で、縦長剝片を表裏から押圧剝離により整形。両面加工なのでより新しい段階とみられる。材質は珪質安山岩、先端部を欠損しており、幅三・三センチ、厚さ一・三センチで、基部は丸みをもって仕上げている。伴出石器などは不詳。
これらの槍先形尖頭器石器群は、縄文時代の到来を間近かに感じさせる。形状も、両端が尖り胴部が幅広の木葉状のもの、両端が尖り基部近くに最大幅をもつ細身の柳葉状を呈するもの、後久保例のように基部に丸みをつけて整形するものなどで、これらが時期差、地域差を示すものか、用途や機能を反映したものか、様々に考えられるがよく分っていない。整形上、片面加工またはそれに近いものは両面加工より先行するであろうし、両面加工の形態は次の縄文時代へと継がれていくことは明白である。旧石器終末の槍先形尖頭器を分離、把握するのは産出層位が決め手になる。それほど機能の上で連続性をもっている、ということになろうか。
気侯の温暖化に伴い、植生が変化し、中、小型獣が主体に狩猟対象が移っていった後氷期の世界。石槍の使い分けもまた必要だったのではなかろうか。