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破片を読む

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11図 マンモス狩り想像図

 長野県・野尻湖遺跡群の発掘調査は、大勢の市民が参加して継年行われ、湖底から大量の動物化石や旧石器時代遺物を発見する成果を上げたことで名高い。報告書(野尻湖人類考古グループ 一九八七)によると、この遺跡の一部はキルサイトと認められるという。キルサイトは、旧石器人が動物を屠殺しその場で解体した地点。河川や湖沼の岸辺が多い。
 野尻湖の場合、当時の湖岸か少し水中に入ったところに湖岸線と平行して三ヵ所の遺物密集域があった。そこにはナウマン象の頭骨や木製(トウヒ)の槍の破片が散乱した箇所、一〇本ほどの肋骨や舌骨・椎骨が集中し近くからは骨製の尖頭器やヘラ状の道具など出土した箇所などがあった。
 旧石器人が集団で大形獣を動きのとれない水辺に追い込み、屠殺、解体する常設の狩場であった様子が浮んでくる。社会的動物といわれる人間は集団の連携行動を如何なく発揮し、勇壮な象狩り、オオツノ鹿狩りなどを成功させたのである。
 自らは獲得、生産できないものを他から入手するのが交換、交易。人間の社会的行為の最たるものである。
 最近、遺跡から出土する石材を分析して産地を同定したり、剝片の接合関係から他の集団との係わりを考えたりする研究が盛んになってきた。手近かな産地の石材の製品、剝片、石核(母材)がそろっていれば現地生産、製品と剝片だけなら製作途上の持ち込み、遣い産地の石材で製品だけなら交易……という読みである。それらは遺物集中地域(ユニット、ブロック)での無数の破片、細片の接合関係に基づくもので、実に迂遠な作業が必要となる。真岡市・磯山遺跡は、母材の礫表皮を残した縦長の剝片からつくる礫山ナイフが特徴の遺跡である。その縦長剝片(石刃)の石材を分析(川田均 一九九七)すると一一種類もあり、遠近さまざなま産地から持ち込んでいることか分った。手近かな一日範囲の安山岩、チャート、ホルンフェルスが主体だが、往復で二日程度かかる中距離の黒曜石、流紋岩、メノウ、久慈川方面まで行く必要がある遠距離産地の頁岩など。出土した剝片から、この遺跡では大量の石刃を生産しているが、そのために遠隔地で産出する頁岩を地元産の安山岩と同じ程度に大量消費していることが分った。それを交易で入手したのか、他集団が直接持ち込んだのかは判断しにくいが、石器の素材をめぐる集団同士の係わりあいが推察される興味深い問題である。