黒羽町・川木谷遺跡で長者久保・神子柴文化に該当する石器群(芹沢清八 一九八九)が表採されている。その代表的な石器が大型局部磨製石斧。長さ二二・二センチ・重さ一,一二〇グラム、全体が水鳥の嘴のように整形され、先端の刃先き部分が研磨され、円のみに似た片刃づくりになっている。伐採用とされる。刃先き部分だけを磨いた局部磨製の石斧はナイフ形石器にも伴出するが、長者久保型の大型石斧は独特な新渡来の石器で、植生の変化に対応した<森の文化>への転換を感じさせる。この石器と共に盛行するのが優美で大型の神子柴型石槍だ。
氏家町・治武ェ門遺跡で出土した石槍はそれに比定できる。深掘りした穴の黒色土の最下部からの出土で、長さ一二・五センチ・厚さ一・一センチで、両面とも入念な剝離を行い薄手で端正な木葉状に仕上げている。材質はホルンフェルス。神子柴型石槍の仲間であろう。黒色土の下部から出土。一九七九年、その周囲を発掘(海老原郁雄 一九七九)したが遺物は発見できなかった。遺跡は、五行川左岸の最も新しいローム面である氏家・仁井田台地の一角にあり、東方約三〇〇メートルの地点にはローム上面から細身の石槍が出土した狭間田A遺跡がある。その他にも古そうな石器の出土地があり、一帯は<架け橋の時代>に係わり深い環境にあったことが推察される。
ローム層堆積の末期、活発な男体山の火山活動が一段落し、気候が温暖化へ向い始め、自然環境の変化と共に石器文化もまた新しい段階へ移っていった。その長者久保・神子柴文化は、まだ高根沢地内では発見されていないが、河川低地に臨む起伏に富んだ丘陵や局所的な独立地形をもつ低台地が展開する地形面をみるにつけ、いつの日かこれらの石器文化が姿を現わすことを確信している。