14図 有舌尖頭器・金井遺跡
五行川低地に臨む右岸の石末台地の一角に金井遺跡はある。縄文中期・奈良平安時代の複合集落跡で、遺物の散布域は一一〇ヘクタールに及ぶ。この遺跡で三点の有舌尖頭器が発見されている。一点は金井神社の東隣地点での表採、二点は一九七六年の旧称・西根B遺跡の発掘資料である。後者の二点はそれぞれ試掘溝の黒色土の最下部から出土、その他の遺物はみつからなかった。1は、基部にカエリがあり舌部尖端を欠いているが長さ五・五センチ、材質は珪質粘板岩。2は、基部の抉りが緩く幅広の舌部をなす。長さ五・六センチ、材質は珪質流紋岩。表採の一点は、基部を三角状につくり出し、舌部が退化している。先端を欠くが現長五・三センチ。材質は珪質流紋岩。それぞれに微細な押圧剝離で、細身、薄手に仕上げた鋭い刺突具である。出土地点付近に有舌尖頭器文化の遺物包含層が存在し、生活址が遺存していたものとみられる。比高二メートルほどの開地性の遺跡で、低台地の局所的な独立地形に立地している点は前出の治武エ門遺跡や狭間田A遺跡の立地傾向に類似している。
四グラム前後の軽くて鋭い有舌尖頭器。重量も形態もすでに石鏃に近い。柄に取りつけた槍、というよりも飛び道具の機能を備えた石器である。中、小動物を対象とする狩猟技術の進歩、一方では漁撈採集の生業化も定着へと向い、土器の使用も始っていた。自然の恵みに依存する採集経済の方式は、自然環境がより暮しやすい状態へと移っていくにつれて新たな縄文文化の段階ヘレベルアップしていった。短い時代幅の<架け橋の時代>を駆け抜けた人びと。多様な生業体系、生産技術の向上、それに伴う人口の漸増―〝縄文の春〟へ向けての胎動はすでに力強く起っていたのである。
参考・引用文献
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