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六期の時期区分

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1表 縄文土器編年表
関東東北南部
草創期花見山(日向Ⅰ)
(隆起線文系)
西鹿田
(爪形文系)
大谷寺(一の沢)
(多縄文系)
早期井草Ⅰ
井草Ⅱ
夏島
稲荷台
稲荷原
花輪台
平坂・普門寺(日計)
三戸大平
田戸下層
田戸上層明神裏
子母口常世・大寺2
野島槻木1
鵜ヶ島台
茅山下層素山2a
茅山上層素山2b
下吉井大畑G・梨木畑
神之木台(船入島下層)
前期花積下層上川名2
関山Ⅰ桂島・大木1
関山Ⅱ
黒浜・植房大木2
諸磯a・浮島Ⅰ大木3
諸磯b・浮島Ⅱ大木4
諸磯c・浮島Ⅲ大木5
十三菩提・興津大木6
中期五領ヶ台大木7a
阿玉台Ⅰa
勝坂Ⅰ・阿玉台Ⅰb大木7b
勝坂Ⅱ・阿玉台Ⅱ・Ⅲ
勝坂Ⅲ・阿玉台Ⅳ大木8a
加曽利EⅠ・中峠大木8b
加曽利EⅡ大木9a
加曽利EⅢ大木9b
加曽利EⅣ大木10
後期称名寺Ⅰ綱取Ⅰ
称名寺Ⅱ
堀之内1綱取Ⅱ
堀之内2(南境)
加曽利bⅠ
加曽利bⅡ
加曽利bⅢ(宝ヶ峯)
曽谷・高井東
安行Ⅰ新地1
安行Ⅱ新地2
晩期安行Ⅲa大洞b
安行Ⅲb大洞bc
安行Ⅲc・前浦Ⅰ大洞c1
安行Ⅲd・前浦Ⅱ大洞c2
千網大洞A
荒海大洞A’

 縄文時代は縄文土器が使われていた時代を意味し、考古学的な時代区分である。縄文土器の名称は、日本考古学史上初めての科学的な発掘調査として知られる大森貝塚の発掘調査(一八七七年)を行ったE・S・モースが、貝塚遺跡から出土する代表的な縄目の文様をもつ土器を総称して、cord marked potteryと呼んだのに対し、最初に「縄紋土器」と翻訳したことに由来する。しかし、明治・大正時代は「石器時代」や「貝塚時代」の名称が一般的であり、「縄文時代」という時代区分が普及したのは、戦後になって縄文土器の編年体系(各地の土器型式の新旧関係)が確立されてからのことであった。
 約一万年にわたる縄文時代は、縄文土器の変化により、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の六期に大きく時期区分されている。さらに各時期は、土器型式により全国各地で細かな区分がなされており、関東地方では現在、縄文時代は約六〇ほどの小期に細分されている(1表)。
 このような土器の編年による時間的区分が一般的に受入れられているのは、土器か考古資料として遺跡から普遍的に出土することと、短い期間で敏感に型式変化していくことから共通理解が得やすいからである。そして各時期については、放射性炭素法(14C年代測定法)により、草創期が一三,〇〇〇~一〇,〇〇〇年前、早期が一〇,〇〇〇~六,〇〇〇年前、前期が六,〇〇〇~五,〇〇〇年前、中期が五,〇〇〇~四,〇〇〇年前、後期が四,〇〇〇~三,〇〇〇年前、晩期が三,〇〇〇~二,四〇〇年前までというような絶対年代が与えられている。