このような時期区分もこれまでなかったわけではない。代表的なものをあげると、労働用具とその技術の進歩、単位集団の増大による共同労働の発展などから、成立段階(草創期および早期)、発展段階(前期から中期)、成熟段階(中期末ないし後期から晩期前半)、終末期(晩期後半)の四段階の区分案(岡本勇 一九七五)や、旧石器時代の狩猟民的な生活様式を色濃く残す形成期(草創期および早期)と、新石器時代的な植物性食品への依存度が高く、定住的生活様式が確立した成熟期(前期以降)の二段階区分案(小山修三 一九八八)、旧石器時代的な文化特色が残る移行期(草創期)、竪穴住居群をベースキャンプとするコレクター型の採集・狩猟生活の様式が確立する形成期(早期)。現在の状況にほぼ近い森林植生が形成され、縄文文化の発展に大きな画期がもたらされたとされる成熟期(前期から縄文時代終わりまで)の三段階区分案(佐々木高明 一九九一)などである。また最近では、林謙作が東日本の縄文時代と断ったうえで、定住を可能とした食料貯蔵を重視し、貯蔵技術の成立段階(草創期後葉)、確立段階(前期中葉)、変質段階(後期前葉)といった三つの画期(林謙作 一九九七)を提示している(2表)。
しかし、これらの時期区分は縄文時代の最も重要な経済基盤の変化を中心に考えているものの、集落のあり方、土器や石器の組成、信仰的遺構・遺物などの縄文文化の諸要素を考えると一様には捉えられず、地域によって気候や風土も異なることから、若干の時間的なズレも生ずる。そのため、研究者の間での評価も異なり、まだ一般的には受け入れられていないのが現状のようである。
栃木県の遺跡をみてみると、中期以前の遺跡は発掘調査の事例がまだ少なく、遺構・遺物も乏しく明確でないものの、宇都宮市宇都宮清陵高校地内遺跡の調査から植物採取加工具の敲石・石皿・磨石が生産用具の主体を占めるようになる早期前半の撚糸文系土器群の段階、宇都宮市根古谷台遺跡のように、環状構成の集落や大形住居の出現する前期中葉段階、竪穴住居跡の居住域と袋状土坑などの貯蔵域がある規制のもとに配され、大規模な環状集落などが形成され始める中期前葉の段階、精製土器と粗製土器の違いが明確化し、土偶をはじめとする信仰的遺物が増加しはじめる後期前半の段階、土偶や石剣類など信仰的遺物が姿を消す晩期後半などに大きな画期があったものと考えられる。また、これらの時期の前後では多くの遺跡で立地が変わり、集落に断絶がみられるものが多いようである。
2表 文化内容による時期区分各説
各説\時期 | 草創期 | 早期 | 前期 | 中期 | 後期 | 晩期 | |
岡本・1975 | 成立段階 | 発展段階 | 成熟段階 | 終末期 | |||
小山・1988 | 形成期 | 成熟期 | |||||
佐々木・1991 | 移行期 | 形成期 | 成熟期 | ||||
林・1997 | 成立以前 | 成立段階 | 確立段階 | 変質段階 |