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土器の出現

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 落葉広葉樹林の森にはドングリ・クルミ・クリなどの堅果類が実り、その下にはヤマイモやカタクリ・ユリ・ワラビなどの根茎類なども繁茂し、植物質の食料の素材は種類・量とも急増し、容易に採集できるようになった。そして土器という土鍋の発明は、それまで「なま」か「焼き料理」だけであったもののに、土器に水を入れて煮沸することによって柔らかく消化しやすくなる「煮物料理」をメニューに加えることとなり、縄文人の食生活にバラエティーをもたらしたのである。
 たとえば、アクの強いワラビやゼンマイなどの山菜類や縄文人の主食であるドングリ類は土器に入れ煮沸することによりタンニンなどのアクを取り除き、はじめて食料となった。また、貝類なども煮沸することにより容易に蓋を開け中の身を食べることができたであろうし、肉なども柔らかくなり、色々なものと煮込むことにより独特の風味を醸しだしたことは想像に難くない。
 わが国の縄文土器は放射性炭素年代測定によれば紀元前一三,〇〇〇年という世界最古の土器の年代が示されている。しかし、この年代には疑問も提出されており、ユーラシア大陸に発生地を求めるものや西アジアの新石器文化の中に起源を求めるなど、幾つかの発祥地が存在したとする説がある。土器の出現に関してはまだ絶対的定説をみていないのか現状である。
 日本で最古とされる土器は長崎県泉福寺洞穴の最下層から発見された豆粒文土器で、隆起線文土器と出土し細石器が伴っている。しかし現在、泉福寺洞穴以外には豆粒文土器の発見例はなく、豆粒状の粘土の貼り付けは隆起線文の一種との考えもあり、旧石器時代の末期の槍先形石器などに伴って出土する隆起線文土器や無文土器も最古の土器群のひとつと考えられている(1図)。これらの土器はどれも深鉢形であり、器面に加熱痕や煤や炭化物の付着が観察されており、煮炊きのために作られたものであることは確実で、わか国での土器の出現の意味を考える上では重要である。

1図 日本各地の出現期の土器
1.長崎県泉福寺洞穴 2.神奈川県上野遺跡 3.京都府武者ヶ谷遺跡 4.長野県石小屋遺跡