中期は植物質食料を主とする食料の供給が保障された安定した時期で、縄文文化の繁栄がピークに達し、遺跡数も最も多くなる時期である。定型的な大規模集落が多くなり、貯蔵施設である袋状土坑が群集して一定の場所に設けられるようになる。町内の縄文時代の遺跡の多くはこの時期のものであり、宝積寺台地や喜連川丘陵にはいくつかの拠点的な大集落が形成される。発掘調査例も多く、宝積寺の石神遺跡、上高根沢の上の原B遺跡、飯室の日向A遺跡などかある。石神遺跡、上の原B遺跡では二段床の住居を含む竪穴住居跡、フラスコ状や袋状を呈する特徴的な土坑が多数発見されており、縄文時代の中でも最も繁栄した様子が分かる時期である。このほか、上柏崎の坂向場B遺跡、上高根沢の台の原C遺跡などからも多くの遺物が採集されている。
5図 町内出土の縄文時代前期の遺物
1~8.大用地
6図 町内出土の縄文時代中期の遺物
1~7.石神 8~11.日向A 12~23.上の原