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前期・中期の遺跡

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 前期は最も気候が温暖で、縄文海進がピークに達した時期であり、現在の東京湾から六〇キロも内陸の下都賀郡藤岡町付近まで海が入ってきていた。安定した食料資源を背景に前の時期に比べ遺跡はさらに増加し、宇都宮市根古谷台遺跡や上河内町古宿遺跡では長さ一三メートルを越える大型の竪穴住居跡なども検出されている。本町でも、一九九〇年に果樹園造成に伴い町教育委員会が発掘調査を実施した大用地遺跡があり、竪穴住居跡二軒、土坑四五基が発見された。前期中頃の黒浜式の時期のもので、土器は前期全般にわたって出土している。磨石・凹石などの石器も多く出土しており、この時期の人々が多くを植物採集に依存していたことがうかがえる。
 中期は植物質食料を主とする食料の供給が保障された安定した時期で、縄文文化の繁栄がピークに達し、遺跡数も最も多くなる時期である。定型的な大規模集落が多くなり、貯蔵施設である袋状土坑が群集して一定の場所に設けられるようになる。町内の縄文時代の遺跡の多くはこの時期のものであり、宝積寺台地や喜連川丘陵にはいくつかの拠点的な大集落が形成される。発掘調査例も多く、宝積寺の石神遺跡、上高根沢の上の原B遺跡、飯室の日向A遺跡などかある。石神遺跡、上の原B遺跡では二段床の住居を含む竪穴住居跡、フラスコ状や袋状を呈する特徴的な土坑が多数発見されており、縄文時代の中でも最も繁栄した様子が分かる時期である。このほか、上柏崎の坂向場B遺跡、上高根沢の台の原C遺跡などからも多くの遺物が採集されている。

5図 町内出土の縄文時代前期の遺物
1~8.大用地

 

6図 町内出土の縄文時代中期の遺物
1~7.石神 8~11.日向A 12~23.上の原