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狩猟の変化

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 縄文時代の生業の主なものは狩猟と漁撈、それに植物採集である。このうち、狩猟は旧石器時代にさかのぼる生業であり、道具はそれまで手槍や投げ槍を使っていたものが、動物相の小型化により弓矢という飛び道具に変化したと考えられている。縄文時代の弓や矢柄は木製のため、実際に遺存しているものは少ないが、近年の低湿地の調査により出土例が増えてきており、本県でも小山市寺野東遺跡で糸を巻いた漆塗りの飾り弓が出土している。
 縄文時代の弓には飾り弓のような合わせ弓もあるが、多くは一本の枝材を用いた丸木弓で、全体の湾曲がほぼ同じ直弓が主流であったようである。また、長さ一・五メートル前後の長弓とその半分の長さの短弓があり、獲物により使い分けが行われていたものと思われる。素材にはカシやイヌガヤ・イチイなど弾力性のある堅いものを選んでいる。
 矢尻(鏃)は石を素材としているため遺存が良く、縄文時代の遺跡から出土する代表的遺物のひとつとなっている。縄文時代の石鏃は中小動物の狩猟用のものであり、弥生時代のように戦争による人間の殺傷を目的とした大型のものとは異なり、長さ二~三センチ、重さ〇・五~三グラムほどの小さいものが多い。そのため、なかなか採集しにくいと思われがちであるが、黒曜石やメノウなどキラキラ光る石を素材とするものも少なくなく、雨上がりなどの畑では比較的目につきやすい遺物である。町内でも西根遺跡で採集されたものが、菅谷肇宅に二八点保管されている。県内では小川町三輪仲町遺跡で四一四点、宇都宮市上欠遺跡で一二七点などが発掘調査で多数出土している例であるが、中部地方の晩期の遺跡からは、一,〇〇〇点を越える石鏃が出土している例も少なくない。
 このほか、動物の通り道に仕掛ける落とし穴、穴に動物を追い込む落とし穴猟などがあり、茂木町登谷遺跡では草創期にさかのぼる落とし穴が確認されている。確認は難しいが、罠猟などもあったことは想像に難くない。
 捕獲対象となったものは、県内の大谷寺洞穴遺跡や藤岡貝塚で出土している動物の骨からイノシシやシカが主体であったと考えられる。このほか、全国各地の出土例からガン・カモ・キジなどの鳥類、クマ・キッネ・タヌキ・ノウサギ・テン・イタチ・ムササビなども食用のほか、毛皮などの衣類に用いられていたものと思われる。

10図 様々な形の石鏃(西根遺跡採集・菅谷肇所蔵)


11図 落とし穴実測図と復元想定図(右:日本第四紀学会 1992「図解・日本の人類遺跡」東京大学出版会より)