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主食の堅果類

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13図 寺野東遺跡谷部出土クルミ

 縄文時代は気侯の温暖化よって植生が変わり、それまでの旧石器時代と異なり、多くの植物食料を獲得できるようになった。土器が発明され、煮炊きすることによって、さらに多くの植物を食料とすることを可能にしたことは先に述べた。実際、遺跡からはクリ・クルミ・トチ・ドングリなどの堅果類をはじめ、ヤマグワ、マタタビ・ニワトコなど六〇種ほどの食用植物が確認されているが、遺存を確認しにくいユリやヤマイモなどの根茎類、コゴミ・ゼンマイ・ワラビ・フキ・タラ・キノコなどの山菜を加えると、現在とそれほど変わらない四〇〇種以上の食用植物があったものと考えられている。
 この中で、安全かつ大量に採集でき、カロリーも高く保存備蓄が可能な堅果類は、縄文人が最も好んだ食料である。特にクリは天然の甘味があり、アク抜きなどの手間が要らず生でも食べられ、まさに縄文人の主食であった。縄文時代の遺跡からのクリの出土は多く、青森県三内丸山遺跡ではクリのDNA(デオキシリボ核酸)を分析した結果、実が大きくてDNAのパターンが揃っていることから、クリ林の維持管理が行われていたことも予想されている。また、クリは柱などの建築部材としても多く用いられており、縄文文化を発展させる重要な植物であったことは間違いなかろう。
 ところで、狩猟採集民である縄文人は、採集よりは狩猟のイメージが強く、肉を主食としていたように思われがちである。しかし、近年の縄文人の骨に残る安定同位体である窒素と炭素の割合の分析から、縄文後期の内陸に位置する長野県北村遺跡では、タンパク質の八〇パーセントをクリやクルミなどの木の実をはじめとする植物から摂取していたことが明らかになった。また、海浜の千葉県古作貝塚でも、タンパク質は植物・魚介類・獣肉類からバランス良く摂取されているものの、カロリーの八〇パーセント前後が植物に基づくことが明らかにされており、内陸部、海浜部に関係なく、本州の縄文人の食生活において木の実をはじめとする植物への依存が想像以上に高かったことが分かる。
 なお、この時代に農耕があったかはどうかは明らかではないが、日本に自生していないヒョウタン・エゴマ・リョクトウ・ゴボウ・アサなどの栽培植物の種子が全国の低湿地遺跡の発掘調査で検出されており、何らかの管理栽培が行われていた可能性も指摘されている。