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半地下式の構造

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 縄文時代の住居には、大きく竪穴住居・高床住居・平地住居の三種類がある。この中で一般的なものが、直径四~六メートルほどの円形や楕円形・隅丸方形などのプランで地面から数一〇センチ掘り込んだ半地下式の竪穴住居跡である。地面を掘り込んだ底面にはさらに柱穴を掘り、主柱を建てて梁や桁をわたし、周囲から垂木を桁に掛け、その上にカヤなどの草屋根を葺いた住居と考えられる。しかし、実際に発掘調査で発見される竪穴住居跡の情報は、地面に残された情報のみであり、上屋の構造については火災にあった住居に残された断片的な炭化材や低湿地に残った建築部材がある程度で明確ではない。
 発掘調査から得られる情報をもとに、一般的な竪穴住居跡の構造や付属施設の状況を考えてみると、まず、地面を荒掘りした後、土を平らに埋め戻し踏みしめて床面としている場合が多く、中央付近には炉が設けられる。炉の周辺には四~六本の主柱穴が掘られている。壁際には排水や土留め材を支えるために掘られた浅い溝が巡り、梯子や踏み段のための二個一対の小穴や張り出し部など出入口と思われる施設が発見されることもある。炉の周辺や出入口部分の床面は、概して踏みしめられて硬くなっている場合が多く、まれに間仕切りの溝やべッド状の段、立石、敷石、埋甕などが発見されることもあるが、いずれも床面上の情報である。
 竪穴住居は家族が起居し、食事や軽作業を行うなど日常の基本的生活を共にした場所であり、時には屋内で祭りも執り行われたと考えられる。同時期にどの住居とどの住居が存在したか検証するのは非常に難しいが、一時期に数軒程度でムラは構成され、狩りや採集や祭りはムラで共同で行われていたものと思われる。

25図 発掘された竪穴住居跡(上)と復元住居(下)(西那須野町槻沢遺跡)