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規模と時期

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 県内では草創期の竪穴住居跡は残念ながら検出されてはいない。最古の竪穴住居跡は早期前半の宇都宮清陵高校地内遺跡や小山市間々田六本木遺跡で確認されている。三メートルほどの円形の小型の住居で後者の住居の中央からは炉と考えられる浅い掘り込みが発見されている。前期になると、長方形や方形のプランの竪穴住居跡が一般的となり、四本主柱で、地床炉や簡単な石組み炉を付設するものが多い。大用地遺跡では七・五×六・七メートルと四・七×三・〇メートルの長方形プランの二軒の前期中頃の竪穴住居跡が一メートルほどの間隔で近接して発見されており、前者は四本主柱で地床炉を有し、後者は主柱穴および炉は検出されなかった。
 なお、前期の中頃には、東北地方や北陸地方で盛行した長軸が一〇メートルを越える大型住居跡が、上河内町古宿遺跡や宇都宮市根古谷台遺跡などで発見されている。これは共同の作業場や集会・祭祀などが執り行われた施設で縄文社会の成熟を反映したものと考えられる。
 中期は竪穴住居跡が最も多く検出されている時期である。前半は楕円形のプランで主柱は四本、炉を有さない住居が多く、稀に円形のプランや地床炉が付設されるものもある。上の原遺跡では中期中頃を中心とした住居跡が一九軒検出されている。楕円形のプランのものが多く、最大は14号住居跡の八・二×五・四メートル、最小は3号住居跡の三・八×二・八メートルで、平均は五・三×四・八メートルである。炉は最初の阿玉台式期には付設されず、次の加曽利E1式期には地床炉が、その次の加曽利E2式期には石囲い炉が見られるようになる。またこの時期には、二段床の竪穴住居跡もみられる。中期後半になると直径四~五メートルの円形や隅丸方形で四本主柱の竪穴住居跡が多く、石囲い炉や土器埋設炉・地床炉など様々な炉が付設されるようになる。
 後・晩期は竪穴住居跡の発見例が少ない。円形を主に楕円形・隅丸方形のプランの住居があるが、主柱穴が明確なものは少なく、後期の住居は壁柱穴を用いるものも少なくない。炉は石囲い炉ないしは地床炉である。また中期末~後期前半には床面に河原石を敷いた敷石住居もみられる。
 その後も竪穴住居跡は、形が方形化し、古墳時代以降は炉がカマドに取って代わるが、本県では平安時代まで一般の住居として存在する。

26図 各時期の竪穴住居跡
1.小山市間々田六本木 2.南那須町後久保B 3.高根沢町上の原 4.西那須野町槻沢 5.宇都宮市御成田 6.小山市乙女不動原北浦