28図 いろいろな形の炉
竪穴住居に付される施設のうち、代表的なものが炉跡である。縄文人にとって炉の火は日常生活には重要なものであり、炊事・暖房・照明・野獣の襲撃を防ぐなどに有効であると同時に、住居内の湿気を取り除き床面をたえず乾燥させておくためにも必要不可欠であった。しかし、一歩扱いを誤ると火傷をしたり、火事により住居や森を焼失するなどの危険があり、火に対しては格別に注意を払い、神聖なものとして接していたものと思われる。
住居の中に火が取り込まれるのは旧石器時代までさかのぼる。しかし、普遍的に炉として付設されるのは縄文時代であり、主たる目的である炊事、中でも煮物料理が普及してからのことである。炉は時期や地域により様々な形態があるが、床面を若干掘りくぼめただけの地床炉、河原石を方形または円形に組んだ石囲い炉が一般的で、これらはほぼ縄文時代全時期を通じて存在する。
この中で、中期には地床炉・石囲い炉のほかに特殊な形態の炉がみられる。本県の場合は、中期中頃までは炉を持たない住居が多く、炉が存在したとしても地床炉などの簡単なものである。中期後半になると長径一メートル前後の大型の石囲い炉もあらわれ、石囲い炉の中央や片隅に土器を付設するものも出現する。また、深鉢形土器の胴部下半を打ち欠いたものを埋め込んだ土器埋設炉や、石囲い炉に土器を埋設した石囲い埋甕炉などもみられるが、栃木県では西関東ほどは普及しない。
中期末になると、宇都宮市上欠遺跡でも明らかなようにほとんどが小型の石組炉と地床炉になっていく。一方、那須地方では西那須野町槻沢遺跡で発掘された土器埋設部、石組部、前庭部からなる土器埋設複式炉をはじめ、石組み複式炉・石敷きの石囲い炉などが盛んに作られるようになる。しかし、那須地方の複式炉も、複式炉の分布圏の中心部である東北地方南部のものと較べると、形態が箱型であったり、土器の底を抜いて斜めに埋設するなどの地域差がみられる。このような特徴は、芳賀町弁天池遺跡や宇都宮市御城田遺跡でみられる土器埋設石囲い炉のあり方と類似しており、関東地方の加曽利E式土器と東北の大木式土器が混在する那須地方独特の変形した複式炉と言えよう。