縄文社会は狩猟採集を生活基盤としていた。しかし、縄文人は食料がその場所で枯渇すると、ほかの場所へ食料を求めて移動を繰り返すのではなく、食料の貯蔵を行い定住生活をしていた狩猟採集民であったことが明らかになりつつある。
北半球の中緯度に位置するわが国には、四季があり、その恵みは季節によって種類や量も異なり、年間を通して常に豊かにあったわけではない。特に、食料の乏しくなる冬から早春を乗り切るためには、貯蔵が必須条件となる。したがって、天候不順や自然災害により食料が枯渇した時などに備え、食料を長期・短期はあるが貯蔵・備蓄しておいたものと思われる。定住生活は、食料の枯渇期にムラの構成員が十分生活していけるだけの量の食料を確保しなければならない。そのためには、かなりの人手と労力が必要であり、ムラの共同作業として食料獲得を行う必要があった。そして、その集めた食料を保存加工する施設や、加工した食料を貯蔵しておく施設があったことは想像に難くない。
縄文人は食料を保存加工する技術を経験的に知っていたようである。魚や獣肉は燻製にしたり、天火に干して乾燥させ保存していたであろうし、後晩期に製塩が行われるようになると、塩漬けによる保存もおこなわれたであろう。ヤマイモなどの根茎類は土の中に埋め、クリ・ドングリなどの堅果類は短期間用の穴貯蔵のほかに、屋根裏や倉庫などで長期的に貯蔵を行っていたものとみられる。
しかし、考古学的には、炭化した堅果類が竪穴住居跡から多量に出土した例などから屋根裏貯蔵が類推できる程度で、食料の貯蔵施設の検証は難しい。遺物の中では、穴貯蔵の堅果類を除けば貯蔵食料の発見はほとんど例がなく、根茎類貯蔵などの検証は困難である。