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袋状土坑の機能

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29図 袋状土坑の貯蔵復元(なす風土記の丘資料館)

 二段床の竪穴住居跡が出現するころ、本県では袋状土坑やフラスコ状土坑と呼ばれる特殊な形態の土坑(穴)が盛んに作られるようになる。このような土坑は、本町の上の原遺跡・石神遺跡をはじめ、西那須野町槻沢遺跡、上河内町梨木平遺跡、宇都宮市御城田遺跡、芳賀町免の内台遺跡、市貝町添野遺跡、小山市寺野東遺跡など県内各地の中期中頃を中心とした遺跡から多数発見され、本県の縄文時代中期の代表的遺構の一つとなっている。
 袋状土坑はクリ・ドングリなどの堅果類やヤマイモ・ユリなどの根茎類を貯蔵するために掘られた穴で、入口が狭く底が広がる竪穴状の遺構である。袋状土坑の盛行は植物質食料が安定的に確保されたことと、その加工技術の発達したことを示している。このような形態に穴を掘るのは、普通の円筒形の穴を掘るのに較べかなりの手間がかかる。しかし、外気に触れる開口部の面積が少ないことから鼠の害を防ぎ、一定の温湿度を保ち、広い貯蔵空間を確保するためには最適の形態であったのである。根茎類などはそのままで、小さな粒の堅果類は袋やカゴなどにいれて貯蔵していた可能性が高い。
 袋状土坑内の温湿度の観測実験によると、湿度は夏季、冬季に関係なく九〇パーセント、温度は夏季は外気の変化に関係なく一五度前後に保たれ、冬季でも蓋をすれば、外気に関係なく二度前後であったという。このことからも植物質食料を貯蔵するには最適で、特に食料の枯渇する冬から早春にかけての備蓄のための施設であったと考えられる。また、その形態から一年から数年で壊れてしまうため、更新を繰り返した結果、上の原遺跡のように一〇〇基以上の袋状土坑が最終的に群在して発見されるのである。
 なお、底面の壁際に小ピット(小さな穴)をもつ袋状土坑が、中期後半の上の原遺跡をはじめ芳賀・塩谷などの県央を中心に多く確認されている。海老原郁雄はその機能について、袋状土坑と同時に機能していたもので、空気対流が少なく、最も常温を保持し易い位置にあることから、変質しやすい物資を貯蔵する「特別室」ではなかったかとしている(海老原郁雄 一九八六)。