縄文人の日常生活における主食調達のための行動範囲は、通常歩行で往復二時間程度の距離で、山や川などの地形にも左右されるが、半径四キロ前後の範囲であったと推定されている。
これまで、それぞれのムラは狩猟・漁撈・採集などの生産基盤を含む同じ程度の領域をもち、相互に閉鎖的で孤立した社会であったと考えられがちであった。しかし、近年の綿密な発掘調査の成果により、共同の生産や祭祀、交易なども盛んに行われ、周辺のムラと平和で友好的な交流が行われていたことが明らかになりつつある。
ムラとムラとの交流が活発であったことは驚くほど似た形と文様の土器が広範囲に分布することからも予想され、同じ様な自然環境のなかで、同じ程度の技術や精神文化などの共通性を持っていたと思われる。しかし、山岳部や丘陵上、河川付近などムラの立地の相違により、森林の堅果類などの植物資源や動物資源、水産資源を獲得する割合は異なり、欠乏物資と余剰物資の交換が行われていたようである。さらに石材などの特定資源の調達は日常の生活圏をこえて行われていたことが明らかにされており、特定地域の土器型式や特定産地の石器がかなり広い範囲に分布しており、縄文時代のネットワークの広さがうかがわれる。
これらの物資の流れは一方的なものではなく、交易品としてその産地に流れる別の物資もあったとみられる。交易品には有機物も多く含まれていたと考えられ、実態が明らかでない場合も多いが、ものが移動する場合、背後には必ず人の動きがあり、運ぶ・伝えるという行為が伴うことは言うまでもない。そして、縄文人はその交易のため、自然の地形を理解して尾根伝いや峠を越える道を開き、海や河川なども活発に利用したことは想像に難くない。