34図 上の原遺跡と周辺の縄文中期遺跡(●拠点的な集落)
中期中頃の上の原遺跡周辺の遺跡の分布をみてみたい。上の原遺跡と同じ宝積寺台地には、西方一キロに台の原C遺跡、北西四キロには石神遺跡がある。また、北方一・五キロの石末台地上には西根A遺跡、さらに東の五行川低地にはこの時期の遺跡は少ないが、砂部遺跡でこの時期の土器が若干採集されている。また、喜連川丘陵には大野遺跡・日向A遺跡などがある。
隣接する市町に目をむけると、宝積寺台地上の北には氏家町堂ツ原遺跡、南には宇都宮市竹下遺跡や芳賀町金井台遺跡・免の内台遺跡などがある。東の喜連川丘陵には氏家町ハットヤ遺跡、南那須町荻の平遺跡(大野遺跡と同集落)、曲畑遺跡、芳賀町弁天池遺跡などが、それぞれ三~五キロほどの距離をもって所在している。概括的には、上の原遺跡のような数型式の期間にわたって営まれた拠点集落と考えられるような遺跡が五キロ前後の距離で存在しており、その周辺に短期間営まれた小さな集落がいくつか存在する状況が読み取れる。
このようなあり方から、上の原のムラは、この一帯の同時期の大小のムラの拠点的な集落であったと理解される。