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碧の宝石

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 神秘的な碧の輝きを放つ翡翠(硬玉)は、縄文人の心をとらえた貴重な宝石であった。良質な翡翠の原産地は新潟県の西端、姫川の上流域にあり、今も新潟県西部の糸魚川市の海岸から富山県東部の宮崎海岸(通称ヒスイ海岸)にかけてその原石が採集される。
 この地の縄文人たちはこの宝石を見逃すはずはなく、現地で加工を施し製品として各地に運んでいった。富山県朝日町境A遺跡や新潟県糸魚川市長者ケ原遺跡・青海町寺地遺跡は翡翠製品の制作遺跡で、翡翠の原石や剝片、未製品、砥石などが多量に出土している。これらの製品は五〇〇キロも離れた青森県三内丸山遺跡などでも発見されており、海路や陸路で物々交換により東日本に運ばれたことが明らかになっている。県内でも三〇点を越える長楕円形や鰹節形の硬玉製大珠などの垂飾品が出土しているが、発掘調査例などから中期の拠点集落からの出土が多いようである。
 本県ではこの時期は、新潟方面から火焰土器やその影響を受けた土器、東北地方南部の土器が出土しており、これらの地方との交流がかなり活発だったようで、硬玉製大珠も新潟平野から阿賀野川流域沿いを会津地方の中核的ムラを幾つも経由しながら本県にもたらされたものと思われる。しかし、一遺跡での出土は一点から数点程度であり、個人のものというよりはムラの貴重品として祭りなどの時に特別な地位の人が身につけたものと考えられている。
 現在、町内ではまだ硬玉製大珠の出土例はないが、喜連川丘陵の大野遺跡と同じ集落と考えられる南那須町荻ノ平遺跡や曲畑遺跡から出土しており、中期の大集落である上の原遺跡や石神遺跡などの地中にもまだ眠っている可能性は高い。

35図 ヒスイの交易経路(栃木県立博物館「祈りの原像」より一部改変)