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雪国から来た土器

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 上の原遺跡一二号土坑は、二〇個ほどの復原可能な土器を出土しているが、この中のひとつに本地域ではあまり見られない土器がある。胴部から上方に向かって開き、口縁部が内湾する深鉢形土器で、縄文を全く用いず、半截竹管を強く押し引いた平行沈線で頸部には重弧文・渦巻文・蛇行文を施し、四条の平行沈線で区画された胴部は縦方向の沈線で埋める。口縁部には鶏のとさかに似ている鶏頭冠把手が四カ所に付く。
 この土器は、新潟国体の聖火台のデザインになるなど縄文土器の中では最も知名度の高い「火焰土器」に似ている。火焰土器はその装飾が燃え盛る炎を思わせることから付いた名前で、新潟県長岡市の馬高遺跡出土の土器を標識とすることから「馬高式土器」と言われる土器様式の一部である。この土器は中期の中頃、新潟県の信濃川流域を中心に作られた地域性の強い土器で、富山県などの北陸地方から阿賀野川をさかのぼって会津地方まで影響を与えた土器である。本県でもこの土器は、那須の山々を越えてくる風花のように、那須・塩谷・芳賀地方に一〇数点、やや変質した形のものが出土している。
 さて、上の原遺跡の土器と本場の火焰土器を比較してみたい。上の原遺跡の土器は、縄文を地文に用いないこと、鶏頭冠に似た把手を持つことなど、一見「火焰土器」と思われる。しかし、細かく見ていくと、上の原遺跡の土器は口縁上部に鋸歯状の突起や頸部に眼鏡状把手を持たないこと、何よりも違うのは上の原遺跡の土器が半截竹管による平行沈線で文様が施されるため、偏平でめりはりが感じられないないなど違いが見られる。また、文様にも隙間がみられる。一方、本場の火焰土器は、断面「カマボコ」形の隆帯や半隆起線で横向きのS字文や渦巻文で器面を隙間なく埋めており、立体感がある。このように、上の原遺跡の火焰土器は、雪国から直接運ばれてきた搬入品ではなく、本場の火焰土器の情報がいくつかのムラを介して作られた模倣土器であったといえよう。

37図 火焰土器とその仲間
上.新潟県笹山遺跡(本場) 下.上の原遺跡(模倣)