ビューア該当ページ

謎の有孔鍔付土器

198 ~ 200 / 899ページ
 縄文土器の中には文様・器形ともに、縄文土器とは思えないような土器がまれにある。上の原遺跡の六三号土坑から出土した破片を接合し、ほぼ完全な形に復原できた土器(4)もそのひとつである。この土器は、口径一八センチ、高さ一七センチで、小さな穴(孔)がほぼ等間隔に八個あいた鍔が頸部に巡っているのが特徴的で、小さなお釜のような形をしている。文様が全く無く器面の内外とも丹念に磨かれていて、ほかの縄文土器とは明らかに異なる。考古学上では「有孔鍔付土器」と呼ばれているものである。
 一緒に出土した土器は、地文に縄文を転がしたもので、キャリパー形の深鉢で口縁部文様帯にジグザグの隆帯を貼り付けたり渦巻文を施した関東系の土器(1・2)と甕形で胴部に大柄な渦巻条の文様が展開する東北系の土器(3)で、この有孔鍔付土器は連弧文土器などとほぼ同じ中期後半のものと判断される。
 県内では、上の原遺跡のほか芳賀町金井台遺跡や免の内台遺跡、矢板市坊山遺跡など中期の一〇数ヵ所の遺跡から出土しているものの、一遺跡からの出土点数は少なく、特殊な壺であったと考えられる。
 この壺の用途については、種子保存具説・太鼓説のほか酒造具説などがある。種子保存具説は縄文農耕の栽培作物の種子を保存したものというものであり、太鼓説は世界の民俗例から縄文時代にも音のリズムがあったとし、口に皮を張って太鼓として使用したというものである。酒造具説は同様の壺から山ブドウらしき炭化物が検出されたこと、きめ細かな粘土が使われ、内外面が丁寧に磨かれ器面が赤く塗られているものも少なくないことなどから、内容物が液体で特殊なものであったと考えられることによる。また、有孔鍔付土器は、最終的に注口土器に変化していくと考えられており、醸造実験の結果などからもブドウ酒などの液果酒の酒造具とする説が有力となってきている。
 この有孔鍔付土器の出自は、遠く長野県や山梨県などの八ヶ岳山麓周辺と考えられ、中期中頃のものは大型のものも少なくなく、ヘビやカエルなどのマジカルな文様が隆帯などで彫刻的に施されたもの(1)もある。この地方では、中期初頭にはすでに出現しており、中頃には北陸や西関東にも伝わり、後半になって小型化しながら北関東から東北地方まで分布を広げていったようである。連弧文土器のような西関東系の土器や中部地方に系譜が求められる条線文を地文とした土器も本県では出土しており、次節で述べる石棒祭祀や埋甕なども中部地方に出自が求められることを考えると、有孔鍔付土器もこれらの土器や祭祀に伴って、中期後半に西関東を経由して伝わってきたものと推測される。

39図 上の原遺跡の有孔鍔付土器と共伴土器


40図 中部地方と県内出土の有孔鍔付土器
1.長野県藤内 2.芳賀町金井台 3.西那須野町槻沢 4.芳賀町免の内台 5.矢板市坊山