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死者の埋葬

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42図 藤岡神社遺跡の人骨出土状況


43図 鹿沼市稲荷塚遺跡の土器棺墓

 人間の通過儀礼で最後にやって来るのが死である。死者の埋葬は地面に掘った穴(土壙)に埋葬する土壙墓が普通で、体をまっすぐ伸ばした伸展葬と手足を折り曲げた屈葬があった。屈葬は胎児の姿勢をとらせたもので、伸展葬に較べ検出例が多い。本県では酸性土壌のため人骨は非常に残りにくく、宇都宮市大谷寺洞穴遺跡で早期(最近、一一,〇〇〇年前の草創期とも鑑定されている)、藤岡町藤岡神社裏遺跡で中期の人骨が出土している程度であるが、前者は屈葬、後者は伸展葬であった。
 また、死者には生前に所有していたもの、身につけていたものなど副葬する例も少なくない。藤岡神社遺跡の人骨は土器の底部を胸に抱えていたし、根古谷台遺跡では前期の墓壙から死者の装身具である玦状耳飾りや首飾りの丸玉・小玉・管玉などが出土している。また、晩期の小山市乙女不動原北浦遺跡では集落から離れて二三基の土壙墓からなる墓域が形成されており、土器などの容器のほか、石剣などが副葬されていた。なお、フランスのシャニダール洞窟遺跡では花粉分析から一〇数万年前のネアンデルタール人が花を死者に供え、原始宗教がすでに芽生えていたことが明らかにされているが、縄文人も死という肉親や親しい者との永遠の別れに花や食物などを供えたことは十分予想されよう。
 本県では死者の埋葬は土壙墓のほかに、中期後半から後期前半に屋外に埋設される土器棺墓がある。土器棺とは、地面に土器とほぼ同じ大きさの穴を掘り、土器を直立や横たえた状態で埋設したもので、生後間もない乳幼児の遺体を哀惜の念をこめ土器に入れ埋葬したものと考えられる。棺に使用される土器は住居内埋甕同様、煤やおこげなどの付着がみられ、煮炊きに使った深鉢形土器を転用したものが多く、土器の上部や中から礫が出土する場合もある。
 宇都宮市上欠遺跡などの土器棺墓の配置をみると、集落内の一定の場所にある程度まとまりをもって分布しており、比較的住居の近くに位置するものが多いことが見て取れる。