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配石遺構の出現

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44図 古宿遺跡の敷石住居

 縄文時代、石を並べた最も普遍的なものは竪穴住居に付設される炉であるが、中期後半から後期前半を中心に配石遺構が盛んに造られるようになる。代表的なものには環状列石や敷石住居があるが、ほかに集石遺構、配石墓や石組石棺墓など精神生活に係わるものが少なくない。
 環状列石は河原石を数メートルから数一〇メートルの環状に配する記念物で、ストーンサークルと呼ばれるものである。縄文後期の秋田県大湯遺跡は著名であるが、本県でも塩谷町船生の佐貫で長径四七メートル、短径三七メートルの環状列石が一九五二年に発掘調査されているほか、氏家町勝山遺跡や上河内町古宿遺跡でもこれに類する配石遺構が発見されている。環状列石の性格については、祭祀場説と共同墓地説が唱えられていたが、近年の調査では、配石下から墓壙の発見される例も少なくなく、周辺に同時期の住居跡が存在しないことなどから、複数の集落の共同墓地の可能性が高くなっている。
 敷石住居は縄文時代中期後半に関東地方西部や中部地方で炉の周辺などの床面の一部に石を敷くことに始まるとされている。後期前半までに住居の床全面に敷石を行うものが中部地方から東北地方南部まで分布するようになり、中期末から後期前半には住居の一端に張り出し部をもった柄鏡形の敷石住居が多く見られる。その性格については祭祀的な特殊住居と地域的に発達した一般住居の二つの説がある。一般の住居とした場合、上河内町古宿遺跡のように竪穴住居と敷石住居の両者がほぼ同時期に存在する遺跡も少なくなく、今後、集落内での両者の役割を明らかにしていかなければならない。