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向原遺跡の配石

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45図 向原遺跡の配石遺構

 配石遺構は本町でも石末の向原遺跡から検出されている。一九六〇年一月に向原土地改良共同組合による湿田工事の際に遺物が出土したため、塙静夫の指導のもと作新学院社会研究部が、三日間の緊急発掘調査をおこなった。
 調査は幅二メートルのトレンチ(試掘坑)を三本設定して行われたが、そのうちの一本から南北二・一メートル、東西一・三メートルの配石遺構が検出された。この配石遺構は長径三〇~七五センチの偏平な河原石二〇個を平坦面を上にして敷いたもので、数個の河原石はすでに抜き取られていたが、長大な河原石を縦に三列に並べ一辺を中小の石で囲むように配置していた、という。この配石面は地表下六〇センチの第四層黒褐色腐食土面で、この層の出土遺物により後期前半の堀之内1式の時期の遺構と考えられる。配石下に土坑があったかどうかは、不明であった。
 部分的な調査のため、この配石遺構の全容は明らかでないが、古宿遺跡などで発見されているようにこれだけで完結する小さな配石遺構とみるほか、古宿遺跡や氏家町勝山遺跡で発見されている敷石住居跡の一部の可能性も考えられる。いずれにしても、この時期の石を配する遺構は墓や祭祀など信仰に関係するものが少なくなく、向原遺跡の配石遺構もそれに類する遺跡と考えられる。