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土偶の祭祀

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 縄文時代の呪術的遺物のうちで土製品の代表格が土偶である。これまで全国で二万個以上出土しており、その特異な形状から江戸時代から好古者の目にとまり、明治時代以降、多くの研究が発表されてきている。
 土偶はそのほとんどのものに乳房の表現があることから、成人女性を模したものであることは明らかである。また、下腹部の膨らみや大きな腰、女性器や妊娠線を表現したものもあることなどから、妊婦を表したものが多く、安産と子孫の繁栄を祈願するとともに、毎年の自然の豊かな恵みに感謝する祭祀・儀礼に使用された道具という解釈が一般的である。土偶の出土状況をみると、石組み施設の中に安置された状態で出土したものも数例あるが、大部分は破片で出土し、完全な形で発見されることはほとんどない。破片同士も接合することが少ないことから、怪我を癒し、再生を願って土偶をわざと壊し、バラバラにして集落の内外のある地点に埋めたものとし、はじめから壊すことを目的に作られたと考えられている。
 土偶の誕生は、関東地方では早期初頭までさかのぼるが、早・前期の土偶は顔の表現がなく簡素なものである。一遺跡の出土も一点ないしは数点で、土偶を出土しない遺跡のほうがはるかに多く、土偶を伴った祭祀はこの時期、まだ一般的ではなかったと考えられる。
 中期には中部から北陸地方や東北地方北部で土偶が盛んに作られるようになるが、関東地方の阿玉台式土器や加曽利E式土器を用いた縄文人は土偶の祭祀はほとんど行わなかった。また、東北地方南部の大木式土器を用いた縄文人も数遺跡で少数の土偶が検出されている程度であり、青森県三内丸山遺跡など東北地方北半のようには土偶祭祀は盛んではなかったようである。このような状況であるため、本県ではこの時期の土偶は非常に少なく、槻沢遺跡で中期の終わり頃の東北系の小型の板状土偶が一点出土している程度である。
 本県の土偶祭祀の盛期は後期から晩期にかけてで、顔面の特徴からハート形土偶・山形土偶・ミミズク土偶などと言われる土偶が盛んに作られる。本町からも、向原遺跡でハート形の顔面や下腹部が膨らみ妊婦を表現した胴部などの破片が四点出土しているほか、西根遺跡で脚部、東谷津遺跡で腰部に粘土紐を廻らせた胴部下半が採集されているが、いずれもこの時期のものである。

47図 東谷津遺跡出土の土偶


48図 県内出土の各種土偶

1.西那須野町槻沢 2.黒羽町川西小 3.氏家町ハットヤ 4.宇都宮市向内 5.益手町山根 6.石橋町神の内 7.藤岡町後藤p213 千葉県「芝山町史」より