49図 町内出土の石棒
土偶と共に縄文時代の祭祀的遺物の双璧をなすものに石棒がある。石棒は棒状に整形した安山岩や緑泥片岩製の磨製石器である。断面は円形で、時期により先端に括れをつけ膨らませたり、笠状に整形したものなど形状が異なる。一般的に、中期の石棒は一メートル前後の大型のものが多く、後晩期になると小型化し、一部断面が偏平化し、石剣や石刀に分化していくとされている。しかし、大型石棒が安置して祀るのに対し、石剣や石刀は刃や把が作られるなど儀杖化しており、単に大型石棒が小型化したというだけの説明では困難であり、金属器の模倣なども含めた再検討も必要であろう。
大型石棒は、中期中頃に中部地方で出現し、中期後半には各地に普及していくと考えられている。最初は竪穴住居の炉や祭壇などに立て、屋内で祀られていたが、後期になると配石遺構などの屋外の祭祀場や敷石住居跡などで発見される例が多くなる。出土地は明らかでないが、町教育委員会が保管している大型の有頭石棒は中期後半から後期初頭、西根遺跡出土の小型石棒は後・晩期のものであろう。
石棒の用途は、その形態から男性のシンボルを表現したものであり、男根崇拝の信仰によるものと考えられている。それは生殖行為全般の祭祀と解釈され、動物や魚などの豊かな繁殖、大地の豊かな恵みを祈願する祭祀において使用されたものと考えられている。石棒は炉辺に立てられたまま出土したり、火を受けて割れたものも少なくなく、石棒の祭祀行為の中で火が重要な役割を持っていたことは想像に難くない。