縄文人は空の青さ、雲や雪の白、初夏の木々の緑や秋の紅葉など、自然の作りだす四季折々の色への思いが強かったものと思われる。しかし、人工的に作れる色で器物に彩色したものは漆による赤と黒、チョコレート色、酸化第二鉄による赤色などで、そのほとんどが赤と黒である。
漆技術は前期にすでに出現していたが、保存状態が良い低湿地などでないと残っていない。本県では寺野東遺跡で後期の漆塗りの飾り弓や櫛が当時の川底から発見されている。また、槻沢遺跡では漆を入れておいたと思われる中期の小型土器の胴部下半が出土している。
天然の酸化第二鉄(ベンガラ)の朱は、鮮明な赤色で、一九八六年調査の石神遺跡一号住居で出土した浅鉢形土器の口縁部破片の内外面に塗られていた。中期には浅鉢形土器をはじめ、壺形土器や有孔鍔付土器などの特殊な土器に朱彩される例が多い。後晩期には注口土器や壺・鉢などの特殊な土器のほか、装身具や信仰や祭祀用の道具に塗られているものも少なくない。赤色は人間はもちろん、全ての動物の体内を流れる血液の色であり、特別の意味を持った色であったろう。また、朱は墓壙から検出される例もあり、死者にふりかけるなど、呪術や儀礼には欠かせない色だったようである。
一方、黒色は寺野東遺跡で黒漆塗りの櫛が検出されているほかは、黒の塗色は本県ではあまり多くない。ただ、後期中頃の加曽利B式を中心とした時期の注口土器や鉢などの器面を丁寧に磨いた精製土器には、顔料を塗らないで、光沢をおびた黒色に焼き上げる技法が発達する。本町ではこのような土器は底部破片ではあるが、上柏崎の川端遺跡で数点採集されている。