各地域ごとの個性、つまり地域色が表れてくるのもこの時代である。その最も強いのが土器である。西日本では、前期は共通した遠賀川式土器を母体にしているが、中期になると各地域とも独自の発展をとげるようになる。九州では突帯がつけられただけの無文のもの、近畿周辺では、先が分かれた櫛のような工具で波形や直線をひくものが使われた。一方東日本では、縄目の文様がつけられ、縄文時代以来の土器作りの伝統をうけついでいる。土器の他に地域色が強いのは墓である。九州では、大甕のなかに遺体を葬る甕棺、近畿では盛土してその中に木の柩を納める墳丘墓などが知られる。東日本では地中に穴を掘り、骨を納めた壺をならべる再葬墓とよばれるものが特徴的である。
他の器具をみても、大きくは西日本が青銅器や稲作関連の遺物が多く、東日本が少ないことは事実である。「弥生文化」といっても、日本各地で同じ道具、同じ生活様式ではなく、地域差をもっていたのである。