中筋遺跡は、発掘調査の結果に基づいてムラの一部が復元されているが、史跡紹介のパンフレット(群馬県渋川市教育委員会 一九九五)などによりその様子をみよう。
柴垣に囲まれた数軒の家屋は一つの単位集団(複数の家族)が生活するワンセット。隣接する地域に畑や小屋があり、他の一角には祭祀場とみられる区域がある。住民の家屋は竪穴住居と平地住居とがあり、両者ともカマドが付設されているところから、前者は冬用、後者は夏用で、季節によりの住みかえをしたものらしい。竪穴住居は、地表に屋根が密着し、一端から煙突がみえる。家屋本体はすっぽりと地下に納っている。地表から一辺六~七メートルの方形に七〇センチほど穴を掘り下げ、床面に柱を立て屋根を葺く。軒先は地表に接し、その周囲に盛り土(周堤)を廻らす。屋根は、中間に土を挟んだ草屋根で、その土が断熱材の役目を果たすとのこと。文字どおりの竪穴住居である。
外周の畑地に接して、物置、食糧庫などの小屋があり、黒井峯遺跡では家畜小屋もみつかっている。これらの施設は、母屋の竪穴住居、〝離れ〟の平地住居、穀物倉庫、天屋の作業場や器材置場、家畜小屋、野菜畑、祀祠などで、米づくり農家の屋敷原形は古墳時代にはできあがっていたことが分かる。
6図 渋川市・中筋遺跡の復元図(「中筋遺跡パンフレット」群馬県渋川市教育委員会提供)