7図 古墳時代の水田跡、高崎市・熊野堂遺跡(「群馬の文化財Ⅰ」より)
高崎市・熊野堂遺跡は古墳時代の水田跡の発見で有名である。現地は、井野川の下位の段丘面にあり、当時は谷状の細長い地形で低湿地だったようだ。大畔で仕切られた幅約一三メートルの区域に、小畔で囲んだ方形の水田が五枚か六枚ずつ何段にもまるで碁盤目のように並んでいる。一枚は一辺が三メートル前後の方形で、面積は三~八平方メートルでまさにミニ水田。小畔は低く水口はない。水田は、緩い斜面に高位から低位へと並んでいて、大畔の水口から流れ込んだ水が高位のミニ水田に入り、それが溢れると小畔を越えて下位のミニ水田に入る、というオーバーフローの冠水方式。
水田に適した土壌と水の掛りに好適な土地なのであった。大規模な開拓や水路をつくり、灌漑治水を行う水田農耕は技術的に困難であり、自然地形を水田として使える狭く細長い谷間こそが生業の地となったのである。
熊野堂遺跡の水田面には無数の足跡が確認され、指先まで識別されたものもあった。苅り入れ後の様子を示すものであろうか。この水田面は六世紀前半に降下した榛名山の二ツ岳の火山灰で埋積されており、火山灰の中から色鮮やかにイネの葉の痕跡が発見されている。火山災害でこれらの水田は放棄され、火山灰にパックされたまま現代に至った。水田が存続した期間は正確には分からないが、水田跡の直下に四世紀中ころの浅間山の噴火による軽石層があるので、その上部に堆積した泥炭質の土壌の形成を隔て古墳時代の水田が拓かれたことになる。
この地を、いま上越新幹線が通っている。歴史の移り変りを示すかのように、長い車輌が風のように通過して行く。