堀越遺跡は、内川右岸の低台地にある弥生・古墳・平安時代の複合した広域的な集落跡で、県営圃場整備事業に伴い発掘調査されていたが一九八八年、その一角から大溝で囲まれた「方形区画」遺構が発見され大ニュースとなった。溝の中には多量の土師器が投棄されており、それらは四世紀中葉の五領式土器だった。区画の中央部には一辺約八・七メートルの古墳時代の大型竪穴住居跡があり、区画の外縁には大溝に沿って布堀(囲い塀の跡を示す小溝)が廻っていた。県内初の豪族居館跡の発見-として人々の関心を集め、この遺構は保存されることになった。方形区画の周辺には同時期の竪穴住居が分布しており、ムラの中の特別な区域であることを示している。ただ、「豪族」の居館とするには、竪穴住居の他に施設らしい遺構がなく、大溝の中にあった土器がある程度埋った溝底に投棄されたもので、祭祀用途の器種が目立っていることなどから、この方形区画施設に祭祀関連の性格を想定する見方もある。
この方形区画は、低台地の西縁ぎりぎりに位置し、その下は小河川の中川の開析低地で、ここが当時の水田地帯かと思われる。
10図 堀越遺跡の「方形区画」遺構(矢板市)