ビューア該当ページ

コラム 居館跡

253 ~ 253 / 899ページ
 矢板市街の北郊、太田地内の登内遺跡、改称して堀越遺跡。山合いに細長く内川の谷底平野が開け、古代から絶好の水田地帯であったためか一帯には古墳時代以降の遺跡が密集している。
 堀越遺跡は、内川右岸の低台地にある弥生・古墳・平安時代の複合した広域的な集落跡で、県営圃場整備事業に伴い発掘調査されていたが一九八八年、その一角から大溝で囲まれた「方形区画」遺構が発見され大ニュースとなった。溝の中には多量の土師器が投棄されており、それらは四世紀中葉の五領式土器だった。区画の中央部には一辺約八・七メートルの古墳時代の大型竪穴住居跡があり、区画の外縁には大溝に沿って布堀(囲い塀の跡を示す小溝)が廻っていた。県内初の豪族居館跡の発見-として人々の関心を集め、この遺構は保存されることになった。方形区画の周辺には同時期の竪穴住居が分布しており、ムラの中の特別な区域であることを示している。ただ、「豪族」の居館とするには、竪穴住居の他に施設らしい遺構がなく、大溝の中にあった土器がある程度埋った溝底に投棄されたもので、祭祀用途の器種が目立っていることなどから、この方形区画施設に祭祀関連の性格を想定する見方もある。
 この方形区画は、低台地の西縁ぎりぎりに位置し、その下は小河川の中川の開析低地で、ここが当時の水田地帯かと思われる。

10図 堀越遺跡の「方形区画」遺構(矢板市)