12図 砂部遺跡出土の円筒埴輪片
円筒埴輪をもつ古墳、となれば本県では六世紀後半の相当規模の代物。高根沢町域では上柏崎の愛宕塚古墳が代表的な存在だが、実は他に二カ所、これに匹敵する古墳があった。一つは太田の大集落跡・砂部遺跡の地域内に、かつて存在していたと伝えられる古墳、〝砂部古墳〟と仮称しておこう。もう一つは上高根沢の丘陵斜面に存在していたという古墳で、付近の山林の名を冠して〝権現山古墳〟と仮称しておく。
〝砂部古墳〟は、五行川低地の微高地に立地した砂部遺跡の中にあり、現況は井沼川左岸の平坦面で付近の水田から比高二~三メートルの平野部の古墳だった。〝権現山古墳〟は、宝積寺台地の東側崖線にあたる傾斜面に位置し、従前、段差をつけて畑地としていた地点で比高二〇メートルほどの高位にあった。地権者の箕輪清氏によると、塚は昭和初年ころまで遺存しており、五畝ほどの広さを占める円墳だった。この地は戦後に開田され、縄文土器などが多出したが、この収集品の中に円筒埴輪片が混っており〝権現山古墳〟のものであった可能性がある。