町の東部、台新田の展望台に立つと、県下有数の穀倉地帯を一望できる。ここは、井沼川、五行川が南へ流れて形成した平坦な沖積低地と、それより一段高い氏家台地と呼ばれる低台地がのびている。最も東寄りの井沼川の西側、氏家台地の先端位置上に砂部工業団地が見える。ここに先人たちの暮らしの跡、砂部遺跡があった。
この地から土器が出ることは、地元の人々には昭和初期のころからすでに知られていた。井沼川沿いの一角では、「足の踏み場もないくらい出た」という話さえ聞いた。砂部遺跡が一般に知られるようになったのは、一九七六年に刊行された『栃木県史資料編・考古一』であった。このなかで、山ノ井清人は、「イサベ遺跡の古式土師器」として砂部遺跡と五点の土器を紹介した。発掘調査で出土したものではないので第一級の資料とはいえなかったものの、県内でも古墳時代初めの土器が注目され始めたころのことであり、取り上げられた意図は充分理解できる。