次の中期は砂部ムラの繁栄した時期である。住居跡は四五軒あり、調査区のほぼ全域に分布している。この地域からの出土土器は六〇〇点あまりで、それらを検討すると、この集落は中期の全期間にわたって存続したわけではなく、大きく二つの時期にわけられる。住居軒数ではおのおの二〇軒前後とほぼ半々である。前半のムラは主に調査区の南東域に位置するⅡ区にまとまりをみせ、住居の大きさにもバラツキがない。後半になると、引続きⅡ区に大きなまとまりはあるが、他の地区にも広がりをみせる。また、Ⅱ区において一〇メートルをこす大形住居が二軒あり、位置的にはⅡ区のほぼ中央にあたるのは、偶然とは言いがたく、集落のなかでも中核となる存在なのであろう。
後期では、わずかに二軒の住居跡が見つかっただけである。しかもこの二軒とも中期に連続する時期ではなく、後期でも後半、少なくとも五〇年以上の断絶がある。砂部の古墳時代はほぼ五世紀の間存続し、後期になって人々はこの地を離れたようである。再び生活の場となるのは八世紀になってからであった。