砂部の中期ムラは大きく二時期にわたって変化した。その時期差を示すのは、日常容器の土器である。ここではいろいろな形の組合せとその変化を見てみよう。主な器種としては、貯蔵用の壷、煮たき用の甕・甑、個人用の食器として埦や坏、盛りつけ用の高坏などがある。前二者はそれぞれ大・中・小の大きさにわかれる(22図)。各住居跡から出土した土器群の構成では、小形の壷(坩)と高坏が複数みられる一群(仮にA群)、埦・坏類が多出する一群(仮にB群)、との二つのグループにわけられる。この二グループで他の器種の特徴をみると、A群では、口縁部が段を持つ大形の壷、底が丸く口が直線的に開く中形の壷などが伴う場合が多い。B群には、甕と組み合わせる大形の甑が加わり、須恵器と呼ばれる堅い青灰色の土器もわずかながら加わっている。この違いは、時期の新旧を表している。壷の器種は前期に盛行し、後期には基本的には消滅する。一方、大形甑は後期には米を蒸す食生活の必需品となり、中期がその出現の時期にあたる。須恵器の使用は新しい段階にほぼ限られる。
つまり、古い時期(A群)では、前期の名ごりとして高坏、坩を主体とした、祭祀の色彩の強いセットから新しい時期(B群)の甑、埦などの、より日常の生活に則した器へと変わっていった。これ以降、食器の組合せは基本的に平安時代までは踏襲される。その意味ではこの時期は、日本の食生活の様式が確立した画期ともいえる。
22図 砂部遺跡・古墳時代の土器