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コラム 須恵器をまねる土師器

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24図 須恵器と土師器(摸倣坏)(『ほりだされた下野の古代』を一部改編)

 ロクロを使って作り、穴窯で焼く青灰色の須恵器は、五世紀になって大陸から伝わった。当時、日本では縄文時代以来の素焼きの褐色の土師器が専ら用いられており、須恵器は貴重品であった。そこで人々はその形をまねる(模倣する)ようになる。須恵器導入の後、最初に模倣したのは、𤭯とよばれる胴に小さな穴のあいた小壺である。ただこの器形はあまり盛んにならずに終わる。次の段階、模倣が本格化してくるのが坏類である。特に坏蓋はその形を忠実にまねている。図の須恵器右上は須恵器で丸い天井部と直立する口縁部を持つ。土師器の右上を逆さにしてみると驚くほど似ている。須恵器本来は蓋として使用するが、土師器では身として使ったようだ。
 六世紀以降になると土師器は模倣坏が主体となっていく。そしてその形の変化は、須恵器の器形変化と全く一致している。このころは各地に窯が作られるものの、一般集落に須恵器が入ってくることはめずらしい。本来古墳の副葬品としての性格をもっており、日常什器として広まるのは奈良時代以降のことである。
 ところで模倣は坏のほか甑くらいに限られる。カマドの普及に伴う長胴化した甕は、須恵器の影響を受けていない。供膳や貯蔵するものに対し、煮沸具はその多孔質のもつ素地ゆえに、伝統的な形態変化をたどる点は対照的である。