矢板市片俣にある番匠峰古墳群は、一九七三年に六基の円墳が発掘調査(屋代方子 一九七八)され七世紀後半における塩谷地方の群集墳の様相を知る上に大きな成果があった。これらの円墳は西向きの斜面に点在しており、いずれも上方からみるとよく分からないが、下方から見上げると墳丘が分かるつくりになっていた。斜面に水平に溝状の穴を掘り石室をつくる。穴の突き当たりが奥壁になるわけで、石室の奥半分は地下に手前半分は地上に露出する状態となる。この石室を覆う半円状の盛土をする。いわゆる「山寄せ」型のつくりである。円墳の中心軸と石室の長軸は一致しない。盛土は石室を覆う補足的な工事であるため墳丘に規格性はないわけである。省力化、手ヌキ造成の古墳なのである。
玄室内の副葬品は、直刀と鍔・柄・鞘などの縁金具や鉄鏃、刀子などの鉄製品、耳環や釧(腕輪)・玉類などの装身具に大別される。玉類の中には多量の土製丸玉がみられる。鉄製品は当初の被葬者である家父長、装身具は追葬された妻たちに供献されたものと考えられるが、多量の土玉は儀礼の形式化を示している。終末古墳の実相である。
32図 〝山寄せ型〟の墳丘、矢板市・番匠峰二号墳