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規模と構造

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38図 石室の全景

 一九九二年、上の台古墳は現地に建設工事が計画されたことに伴い記録保存の発掘調査が行われた。調査は町教委の委託により日本窯業史研究所(大川清所長)が一月から三月まで実施(調査担当・中山哲也)した。
 石室は、ほぼ真南に入口をもち、奥が玄室、手前が羨道、その前面に閉塞部の三つの部分から成っている。玄至は西壁がやや内側へ寄ったため歪んだ方形を呈する。規模は、奥壁が三〇八センチ、西壁が二八〇センチ、南壁が二八五センチ、東壁は消失箇所があり確定できないが内法で約二六〇センチである。羨道は東壁が、玄室東壁の延長上にある片寄ったつくりで、内法で玄門幅(玄室入口)が九〇センチ、長さ一七〇センチほど。玄室と羨道をつないだ平面形はL字状を呈しており全長が六二五センチ、この形状を片袖型横穴式石室と呼んでいる。試掘の際、内部主体の掘り形が不整形を呈して見えたのはこれが原因だったのだ。
 羨道の前面には川原石を積んで入口を塞ぐ閉塞部があり、さらにこれに取りつけて南へ向かってラッパ状に開く溝が認められた。この溝は遺体を納める際の墓道で、その延長は周溝を経て南側へ張り出している。つまり、この円墳は、墳丘の南面に墓道が常設されていたわけである。それは、時間差をもって複数の埋納が行われることを表わす。追葬である。この古墳の出土遺物は前述の耳環一点だけ、それ以外は散逸してしまったが、耳環は女性の装身具であり、被葬者である首長の妻のものとみられる。家族墓の特徴を示している。
 周溝はほぼ円形に廻り、外径が約四〇メートル、内径は約三三メートル、墳丘の高さは不詳だが、円溝内側に帯状の平坦面が廻っており、フライパンを伏せたようなあまり高くない墳丘があったものと推測される。墳丘の葺石もなかったらしい。
 周溝の中からも出土遺物はなかったが、周溝南西の位置に、外壁面に掘り込まれた土壙がみつかった。平面形は一二四×六五センチの楕円形で深さは九〇センチ、壙底の北端には径七〇センチ・深さ二〇センチほどのくぼみがあった。出土遺物はなかったが、埋土は周溝のそれに近い。周溝が埋まりきらないうちにつくられた埋葬施設とみられ、この古墳が構築されてさほど時間差のない遺構と思われる。被葬者の首長の陪臣か近親者か、何らかの係わりをもつ人の墓壙であろう。ここにも家族墓的な一面を伺うことができる。
 他に、周溝の西方からは方形周溝基一基(古墳時代前期)が検出されている。上の台古墳とは関係ない遺構だが、予想もしなかった発見で発掘調査の価値を改めて思い知らされた感が深い。

39図 上の台古墳全体図