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ノミ跡は語る

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40図 上の台古墳・石室実測図

 石室の掘り形はローム層上部にあった。当時の地表から石室の上部が現われる程度の半地下式の構造だった。その高さは推定で一六〇センチ、遺存していた玄室の根石(壁の最下部の石)からみて、同様のものを用いたとすれば、奥壁は二段、側壁は三段に切石を積んだものと思われる。
 玄室の壁は、西壁に上段の石をはめ込む切組面がつくられていることは前述したが、奥壁と西壁の接点は切石の稜だけを合わせた「隅合せ」になっており、西壁と南壁の接点もほぼ隅合せに近い組み方になっていた。北・東・西壁の下面は根石を据えるための浅い溝が掘り込んであり、また羨道との間仕切り部分にも細い溝が認められた。切組面には白色の粘土が付着していて、壁材を積み上げる際に隙間に詰めたものとみられる。
 玄室の床面には厚さ一〇センチ程度の方形の切石を敷いているが、全体の三分の一くらいしか遺存せず、しかも原位置を動かされていた。切石は切組み付設をしたものもあるが、大きさや形に規格性がない。
 これらの状況から、石室の壁や床は、石材を現場で整形し、臨機応変に組合せたり、はめこんだりしながら構築して行ったことが分る。切石の表面に残る生々しいノミ跡をみると、用材搬入と切石を削る作業が併行して行われた様子か想像される。石室は、四~五枚の天井石で覆われて完成した。一枚の大きさは、玄室の規模から推して長さ三メートル、幅六〇~七〇センチ、厚さ五〇センチ程度とみられる。
 高度な石工技術をもつ集団を中心に古墳の造営は進み、石室を盛土で包んで工事は完了した。県北でも有数の大型円墳である上の台古墳は、ほぼ正円の周溝、墳丘の中心位置に真南に開口する石室を有し、そこから広やかに続く墓道と端正な円錐台の墳丘を仰ぎみる正面観をもって構築されていた。地域の首長墓にふさわしい風格を備えた古墳の姿が偲ばれる。

41図 調査区の全景